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2013年3月25日


アーティストとしてどうあるべきか考えた一日


日曜日、5月に録音予定の馬場孝幸プロデュースN郎♪CDのための選曲、曲順をあれこれ考えつつ、いろいろやってました。

自分で選曲し、曲順を決めて、その曲をいろいろ動かして、流れの中で聴いてみて、なんか足りないんだよね〜と思いつつギター触ったり。

煮詰まってきたんで、気分転換にさいたま新都心のマックへ。

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単発の曲だったらね、あんまり考えることないんだけれど、アルバムとして流れの中で聴くとなると、曲順とか大事なんだよね。

そうなってくると歌詞の流れとかも考えなきゃと思いつつ・・・やっぱりあともう一つ足りない・・・。

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結論、足りないと思っている部分にあらたに曲を書こう!!そう思いつつ、マックを後に。

で、さいたま新都心から自宅に戻るまで、自転車に乗りながら思いついたこと・・・あらたに曲を書かなくとも、当初入れるはずだったあの曲を入れてみてはどうか?

帰宅し、足りないと思っているところにその曲を入れてみて、さらに他の曲順とも入れ替えてみて、流れの中で聴いてみると・・・

いい感じにしっくりきた。


その曲を入れて、曲順を入れ替えたおかげで 「こころ」⇒「ハイビスカス」 の流れがグッとくることに気付いた。「こころ」 の後に 「ハイビスカス」 を聴くと、「ハイビスカス」 の歌詞が断然引き立つことを発見。聴き流しがちな 「ハイビスカス」 の歌詞なんだけど、この曲順にすることで、なんと、歌詞が聴こえてきて、泣けるんだよね。



前回記事、目を向けるには勇気のある映像を掲示いたしました。じゃぁそれが自分たちの生きている世界や社会と無関係かといえば全然そうじゃなく、小出さんがおっしゃているように、全然関係があること。でも、普段生活していることとリアルに直接的なつながりを感じないというものまた事実かもしれない。

「イラク戦場からの告発」 のシリーズを途中まで観て、フセインとアメリカとの関係など、その背景を再確認し、そしてまた関連動画で表示された 「ルワンダ大虐殺」 のドキュメンタリーを観て思ったことは、そんな戦争や虐殺が起こっていった背景と、一人ひとりの生活で抱えている問題は、必ずしも異なるものではなく、むしろ共通だということ。

「ルワンダ大虐殺」 のドキュメンタリーの中で、あの時、力ある誰々がああしていれば、あの虐殺は止められたかもしれない・・・そんな回顧録がたびたび出てきたけど、でも、そうできなかった。

そこには後悔の念・・・理念の敗北に対する、後悔の念がある。





国家であれ、社会であれ、結局は一人ひとりの人間、世界中、同じく人間という存在が判断し、行っている行為で成り立っているもの。

それと同じく、一人ひとりの生活もまた、同じ人間という存在が判断し成り立っているもの。

国家にしろ、個人にしろ、その点は同じであり、理念が敗北するならば、悲劇は生まれていく。

高き 「理念」 に従い、ネガティブな感情を乗り越え、人は変わっていかなければらならないんだと思う・・・・そう思って書いた歌詞が 「あなたとは争う意味がない」 。

歌詞を書いた当時、個人の感情と同様に、社会や国家についてもそんな 「理念」 が必要だと確信したこと、この歌は単なるラブソングではなく、そんな願いを込めた歌なのだと表明したこと・・・・ 思い出しました。

 「Once」  の歌詞にしても同様だと、歌詞を書いた後、気付きました。イスラエルの酷い虐殺を、同じ時代、同じ時間に生きた者として 「目撃」 し、考えざるおえないものがあって、 「Once」  の歌詞は生まれました。

「あなたとは争う意味がない」 や  「Once」  がいまだに支持されている理由は、歌詞に込められた想いや 「理念」 があるからこそだと思います。

だから自分にとって、社会に目を向けること、海外で行われている戦争や虐殺、核の問題に目を向けることは、社会のありよう=人間のありよう、その本質を考えさせられ、その上で、向くべき 「理念」 を考えるために必要な材料であり、それは自分の書く歌詞に跳ね返ってくること・・・・そうあらためて思わされた次第です。

前々回記事で、mittanrさんからこんなコメントをいただきました。
>N郎♪さんの音楽、メッセージは、いつも人を愛する気持ちに溢れていると感じています。

mittanrさんに感じとっていただいた 「人を愛する気持ち」 というのは、自分の言葉で置き換えるなら、向くべき 「理念」、そのことなのかもしれないですね。

昔からから数多くの海外のアーティストが訴えてきた、LOVE&PEACEの精神、それと同じものなのかも。



今、「日本の音楽業界は瀕死の状態だ」 という言説をよく目にします。

AKB48やジャニーズのように、歌そのものよりもアイドル性が重視されるものばかりが売れ、それはそれで良いとは思いますが、肝心の、アーティストの作り出す歌、音楽が、売れなくなった・・・ そう言われています。

使うお金の額が減り、携帯、スマホなど音楽以外に使うお金が増加したからといった理由も大きいことでしょう。その一方で、魅力あるアーティストや作品がないからというような原因も挙げられることが多い。

作り手ではなく、リスナーとしての自分自身を考えたとき、聴きたい日本のアーティストの音楽はあるかと問われれば、かなり昔、10代のころのフェイバリットアーティストであった浜田省吾や長渕剛、いまだに彼らの名前を挙げるかもしれません。つまりそこから先、追いたくなるようなアーティストがほぼ、いない状態。

ライブハウスに出演しているような、自分と同じ位置にいるような、周辺のアーティストを見回してみても、この人は凄いとか、この人は次にどんな曲を出してくのだろうかと、スリリングに感じられるような人も、ほぼいない。

逆にそれはそのまま、作り手としての自分自身に跳ね返ってくる問いかけであり、じゃ、自分は何を生み出せるのか? どんな曲を書いていくのか? 次にどんな曲を出してくるか、スリリングに感じられているのか? そう自問することでもあり、そうではないとするならば、逆にそこにこそ、答えがあるんじゃないだろうかと思います。

アーティストは作品を世に提示し、その作品はその人のアーティストとしての全身全霊をかけた作品、アーティストとしてプライドをかけた作品でなければならず、その上で、リスナーに受け入れられるものでなければならないという、はかり知れないプレッシャーを抱えながら作品を世に送り出さねばならない。逆にそれでこそアーティストと名乗るにふさわしいんじゃないかと思います。

一方で、売れるとか売れないとか関係ない次元で、そんな気合を入れずに作りたいものを、その時の気分でつくればいいじゃないかという考えもあり、それで成り立つのであればハッピーこの上ない・・・ けれど、自分の敬愛してきたアーティストを考えてみるならば、みな苦悩し、もの凄いプレッシャーの中で、時代を切り拓いていくような作品を生み出しっていった・・・自分自身と闘いながら。

そしてそんな中で生まれてきた作品って、やっぱり、そのアーティストの存在意義を示した、アーティストとしての素晴らしい作品となっていると思う。


話を「日本の音楽業界は瀕死の状態だ」 という話に戻すと、じゃ、それだけ全身全霊をかけてアーティストとして作品を生み出している人が、今の日本にどれだけいるのだろうか・・・。

多分、音楽としては、いっぱいいると思う。でも、多分、それだけじゃ足りないんじゃないかと、自分は思います。

音楽人は音楽のことにだけ関心があればいいっていう考え方は、少なくとも、リスナーとしての自分の興味をそそることはない。

世界がこれだけ激変し、時代が日々変わり、インターネットを通して情報も文化も簡単に手に入れることができるようなった現在の状況の中、音楽のことにだけ関心があればいいっていう考え方は、人の心の一体どこに訴えるのか? そう思います。

音楽のことにだけ関心があればいいっていう考え方は、日本の音楽が、人々のリアルな生活から乖離し、絶対に必要なものではなくなり、なくてもいいもの、どうでもいいものとなり、興味を示されなくなっていった大きな要因の一つではないのかと思います。

音楽に限らず、テレビにしろ、マスメディアにしろ、バラエティーにしろ、ドラマにしろ、報道にしろ、全部おんなじことが言えるのかも。なくてもいいもの、どうでもいいもの、おもしろくないもの・・・パンデミック的に文化の手段、情報が広がっている現在、中身のないものが人の興味を失っていくのは必然なのかも。


そんな状況の中、その人しか生み出せないもの、かつ、なきゃならないもの、絶対に必要なもの、素晴らしくおもしろいもの、時代をリードしていくもの、新しいもの、そういったものを、生み出していくことが、今、現在、この時代に生きるアーティストとして必須のことなのかも。

まぁ、それはビートルズの時代から一緒なんだけどね。


・・・とまぁ、そんな頭の整理もしつつ、昨日、さいたま新都心で観た桜。

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4月前だってのに満開、今年の春ははやいんだね。


今日のひとこと 「アーティストとしてどうあるべきか考えた一日」






2013年5月19日


自作詞の背景 「Fine Days Song」(1)



Photo by 「月のつぶや記」

振り返ってみると、1997年〜2000年ごろに作った曲、作りかけた曲って、今思うとかなりいい感じの曲が書けていたように思う。それ以前の曲作りからバージョンアップし、サウンド的によりポップで、よりメジャーな方向を目指して、工夫した結果だと思う。

・・・しかし残念ながら、そのあたりから自分の生活が変わってしまって、多忙に任せて曲作りから離れてしまった結果、それらの曲は未完成のまま、放置されてしまっている。


今回、馬場孝幸プロデュースN郎♪CDを制作するにあたって、選曲をどうしようか、数ヶ月前から考えていた。

馬場さんとも意見交換をしたり、N郎♪のことを良く知っている人たちからも意見を聞いたりしてきた。けれど、思わされたことは、自分のことは自分が一番良く知っている・・・ということ。

普段ライブでやっているような曲や、音源を公開している曲は、みんなよく知っている。けれど、ライブでやらないような曲や、冒頭で書いたように、作りかけたまま放置されている未公開の曲については、自分以外には誰も知らない。

未公開の曲の中にも、自分らしいと思えるいい曲がたくさんある。


今回のCDに収録する曲について、ひととおり選曲してみた後、自分が出したい音楽としてどうも足りない要素がある・・・そう気付いた。

その要素とは、ロックでもなければ、バラードでもない・・・。

いろいろ考えた結果、そうだ、「Fine Days Song」を入れよう、そう閃いた。


「Fine Days Song」 とは、思い出すと 1998年ごろに浮かんだ曲で、いい感じのサビの歌詞とメロディーが浮かび、そしてナイスな前奏のフレーズが浮かび、これは!!と思って温め続けていた曲。


確か1999年ごろだったかと思う。当時渋谷駅から目黒青葉台方面に通っていて、渋谷駅から玉川通りの上り坂を毎日歩き、歩きながら 「Fine Days Song」 の歌詞やフレーズを考え続けていたことを思い出す。


しかし前述したように、曲作りから離れてしまった結果、「Fine Days Song」はサビ以外の歌詞が完成しないまま放置されていた。


その後、2007年からライブ活動を復活し、2008年 5月、秋田犬でのN郎♪&AKプロジェクトライブで 「Fine Days Song」 は初演奏された。


その時のライブレポート、アウフヘーベンベーシスト SAMMY の記事は以下。

SAMMYの永遠の一秒
N郎♪&AKプロジェクトライブin秋田犬(2008/05/28)


しかしそのライブで演奏するために書いたサビ以外の歌詞にいま一つ自分自身納得がいかなくて、 「Fine Days Song」 は再びオクラ入りしてしまうことに・・・。





2013年5月20日


自作詞の背景 「Fine Days Song」(2)


今回制作するCDに、「Fine Days Song」 を収録しようと閃いたはいいけれど、歌詞が完成していない。

前述したように、2008年に書いた歌詞には納得がいっておらず、しかも1番しか書いていないため、2000年ごろには決まっていたサビ以外の歌詞について、全面的に書き直さねば、そう思っていた。

しかし歌詞を書くという行為は、時にかなり苦労する行為であり、そして苦労したからといっていい歌詞が書けるわけではないことはこれまでの経験から良くわかっていること。さらに 「Fine Days Song」 は1度ならず2度、その歌詞を書こうとして挫折している曲。

なぜ挫折してしまうのかというと、サビの歌詞やメロディーが良ければ良いほど、それにふさわしい、いい歌詞を書こうと、歌詞を書くアプローチ方法を間違えてしまうから。



そうこうしているうちに、選曲を決定せねばならぬ時期に差しかかり、いろいろ考えた結果、やはり未完成の曲を収録するリスクはやめにして、完成している曲を収録しようと選曲を思い直し、「Fine Days Song」 の収録は取り止めることとした。


馬場さんにサンプル音源を聴いてもらった今年の2月、「Fine Days Song」は持って行かなかった。



その時の自分のイチオシは 「こころ」 だった。

馬場さんは選曲について、あと1、2曲持ってきてリハーサルでやってみようと話した。


その後、選曲を最終決定するため、自分で選んだ曲を想定している曲順どおりに並べて何度も聴いてみた。

・・・やはり何かが足りない、再びそう思い出した。


今年の 3月最後の日曜日、一日中そのことを考え続けた。



考え続けた結果、新しく曲を書こう、一旦そう決めた。

しかし家に帰る途中、思い直した。

いや、待てよ、あらたに曲を書かなくとも、当初入れるはずだった 「Fine Days Song」 を入れてみてはどうか?

家に帰って、以前作った 「Fine Days Song」 のサンプル音源を入れて曲順どおり聴いてみると・・・しっくりきた。

やはり 「Fine Days Song」 を入れよう。


そして今の自分にふさわしい歌詞、2013年の今の世の中の状況ににふさわしい歌詞を書こう、そう決めた。


この曲の歌詞を書こうとして過去に挫折してきた経験から、歌詞を書くアプローチ方法を変えようと思った。

今回取った手法は・・・・


まず自分が普段思っていること、考えていること、言いたいこと、それを徹底的に文書にして、そしてブログに公開しよう、そう考えた。


歌詞になるのはその中のほんの数行でしかない。

でも、その数行の背景にはこれだけの考えや思いがあるんだ・・・


自分がいいと思う歌詞はそんな歌詞。





2013年5月21日


自作詞の背景 「Fine Days Song」(3)


2013年5月7日早朝、JR九州・鹿児島本線の大牟田駅前から乗り合いタクシーに乗って、佐賀空港へと向かった。

朝一の飛行機で東京へ帰るため・・・。

まだ夜明け前、けだるい時間の中、有明海周辺の光景を眺めながらタクシーは有明沿岸道路を進んだ。



有明沿岸道路をyoutubeにアップされている方の動画


ゴールデンウィークの間に完成させようと思っていた 「Fine Days Song」 の歌詞は、何も完成していなかった。

次の日曜日、5月16日の夜は、馬場さんと、ミュージシャンのバンド人たちと、四ツ谷でリハーサルを行うこととなっていた。

佐賀空港に到着し、羽田行きの飛行機に乗り込み、飛行機は離陸し、高度を上げてノートパソコンを使ってもいい時間帯となった。


今だ・・・

そう思ってノートパソコンを開いた。


歌詞の元となる文を機内で一気に書きあげた。

ブログにみっちり書いてきたこと、
その内容に沿って、思っていることがスラスラ書けた。


書きながら、これはイケる、そう思った。

2番にあたる部分を書きながら、思わずグッときてしまった。

♪ 振り返り見える景色も、
♪ 同じようにゼロではないさ
♪ 生まれてきたこと、出会ってきた人、
♪ その意味を考えてみよう


ああ、こんな歌詞、まだ書けるんだ、そう思った。




5月15日、リハーサル前日の土曜日の夜、サンプル音源の制作を開始した。

アレンジ自体は過去にある程度出来ていたから、それに合わせてソフトに打ち込めばいい。

ドラムの音から打ち込みを開始した。

ギター片手にコード進行を再精査し、アレンジを一通り打ち込み、仮ギターを録音して、一眠りした後、5月16日朝、歌詞の精査に取り掛かった。

歌詞自体は今完成していなくてもよい。そんな軽い気持ちで、羽田に向かう飛行機の中で書いた歌詞の元ネタを、メロディーに合わせて精査し始めた。

歌詞は出来るだけ元ネタの文のままとし、仮ボーカルを録音した。その結果、メロディーと歌詞をかなり強引に結び着ける結果となったけど、逆にそれが新鮮さを与えて、いい感じになった。

1番を歌い、2番を歌い、これはイケる、そう思って、2番の後に展開部を入れることとした。

展開部に入れた歌詞はこんな歌詞。


♪ 夜明け前、有明沿岸道走る
♪ 久しぶりにいい歌が、書けそうな気がするんだ



午前中のうちにコーラスまで入れることが出来た。

昼過ぎ、音源を編集し、ミックスして、サンプル音源は完成。

ネットにアップし、本日のリハーサル、そして本録音に参加することになっているアウフヘーベンギタリストのJimmyちゃんにメールした。


バタバタとサンプル音源をCD−Rに焼き増し、家を出た。

18:30、JR四ッ谷駅前、Jimmyちゃんと待ち合わせして、馬場さんが押えていた四ツ谷のリハーサルスタジオへ。


Jimmyちゃんに加え、プロフェッショナルなバンドの方たちとリハーサルをしたのは6曲。


それぞれの曲で、セッションの前にサンプル音源を流して聴いてもらった。


「Fine Days Song」 1番の歌詞の出だしはこんな歌詞。

♪ 何一つ不自由なく育ってきた僕たちの世代、だけど
♪ 今、時代は、下り坂転げ落ちてゆくラプソディー


馬場さんはその歌詞を聞き、笑いながら 
「転げ落ちてけー、イイゾー!!(笑)」


そして展開部、N郎♪ボーカルはファルセットを多用し、超ハイトーンボイスに。
馬場さんはそれを聴いて大爆笑(笑)。

♪ 君に届けたい声〜エ〜エ〜(アゲアゲ)

 「Once」  のサビの ♪オーヤーヤーヤーのところも、馬場さんが最初に聴いた時には大爆笑だったんだけど、まさにそれこそがN郎♪の声の力、これはイケるって確信した。


サンプル音源がしっかりしていたのと、サウンドの輪郭が明確なこと、バンドの人たちのフィーリングと一致していたこともあって、「Fine Days Song」 は6曲中一番すんなりとリハーサルできた。




15年の月日が経って、このタイミングで、「Fine Days Song」 は自分が思っていたとおりの曲として完成した。

当初のサビの歌詞に加えて今回新たに書いた歌詞は、自分自身、十二分に納得の行く歌詞となった。


こんな曲が書けたこと、神さまに感謝・・・だよね。






2013年6月21日


自作詞の背景 「Once」 第2回


2013年6月15日、馬場孝幸プロデュース・N郎♪アルバムのボーカル録音を翌日に控えた土曜日の夜、アウフヘーベンギタリスト Jimmyと約束して、アルバムのトップを飾る 「ラベンダー」 のエレキギターパートを追加録音する予定だった。

朝起きて、その日の行動を考えていくうちに、録音を行うスタジオまでの移動手段がないことに気が付いた。予約しようと思っていたスタジオは駅から離れた場所にあり、電車での移動は不可だった。

スタジオの予約は出来たが、さて、どうやってスタジオまで移動しようか、Jimmyに自宅まで迎えにきてもらおうか・・・などと考えているうちに、前々から利用しようと思っていたカーシェアの利用を思いついた。

しかしカーシェアを利用するためには会員登録が必要であり、今ネットで登録しても、利用カードが届くまでには数日かかって、今日の利用には間に合わない・・・なんとかならないか・・・。そう思ってカーシェアのホームページを見ていると、営業所まで行けば即日発行が可能なことがわかった。

早速ネットで会員申込みをし、昼過ぎ、大宮駅西口にあるカーシェアの営業所まで行って、利用カードを入手した。

これで安心。


帰り道、さいたま新都心にあるカーシェアの駐車場と、レンタル対象となっている車を確認し、自宅に戻って正式に予約を行った。18:00から翌 09:00 までのパック料金を選択。

夕方、自宅から歩いて駐車場まで出向き、カーシェア初体験。あらかじめ Youtub で利用方法の解説動画を観ていたから、簡単にいくだろうとタカをくくっていた。パーキングに到着し、車を動かしたところまではよかった。しかし、パーキングから出場するところでつまづいた。どうやってゲートを出ればいい??

入場する際には駐車券を取っているわけでもないし、利用カードを機械に入れても返却されるだけ。出口ゲートから車をバックさせ、考えこんだりを繰り返しながら、ああ、そういえば以前ホームページを見たとき、なんか駐車券があったな・・・そう思い出して、運転席からふと頭上を見上げると、そこにはサンバイザーに挟まれた専用駐車券があった。


そこからはスムーズ・・・しかし慣れない車だし、久しぶりにさいたま市内を運転するということもあって、ひたすら安全運転を心がけた。


自宅に戻り、録音機材=ノートPCと周辺機器、を車に積み込み、スタジオ予約時間よりかなり早めに出発した。

「ラベンダー」 のエレキギターアレンジをどうしようか・・・・昼過ぎまではそのことを考えていた。午後の時間にそのサンプルを作成し、Jimmyに連携して、スタジオへ向かう車中では、仮録音した音源を流しながら、次のことを考えていた。

「ラベンダー」、「Fine Days Song」、「こころ」、「ハイビスカス」と流していき、 「Once」  に差し掛かったとき、ああ、そういえば  「Once」  のコーラスってなにも考えてない・・・そう気が付いた。


今回のアルバムに収録する曲の中で、  「Once」  はもっともなじみの曲であり、そうであるが故に、逆にアレンジのことは何も考えていなかった。


Jimmyとのスタジオ予約時間は 21:00 からだったが、20:00 まえにはスタジオ近くに到着し、セブンイレブンで買い物をした後、仮録音音源を流しながらワンスのコーラスアレンジをざっくり考えていた。

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21:00 スタジオワーク開始。Jimmy と「ラベンダー」 のエレギターパートの録音。 2回スタジオに入り、00:15 、「ラベンダー」 のエレギターパートの録音は完了した。


今回のアルバムのために、本録音前のセッションを含め、エレキギターパートを担当した Jimmy とは合計5回のセッションを行った。自宅、四ツ谷のリハーサルスタジオ、日暮里レコーディングスタジオでの本録音×2回、そして今回の追加録音と、互いの音楽史の中で、貴重な体験をすることとなった。

思い出せば 2002年のアルバム 「ハート」 に収録した、「バンドの練習が始まる時刻を待ちながら」「ハート」のエレキギターソロも Jimmy にお願いした。重ねてきた年月を考えると感慨深いものがあった。

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午前 00:45 、Jimmy と別れ、自分は自宅へは戻らず、車を運転して国道17号線へと向かった。

17号線から戸田駅へ向かう途中にある、24時間営業のマクドナルド・・・・車を運転しながら、そこで 「ラベンダー」の仮ミックスとともに、 「Once」 のコーラスを録音してみようかと思いついた。


17号線を戸田方面へ南下し、右折して、戸田駅へ向かうマクドナルド・・・そこは自分にとって特別な場所だった。

3年前の2010年7月、高見沢みなも 「43℃」 を編集したのも、その場所だった。


午前 01:10、小雨が降る中、マクドナルドの駐車場に車を止めた。

ノートPCを作動させ、機材をつなぎ、ヘッドフォンをつけて、車の中で  「Once」 のコーラスをサンプル録音した。

サンプル録音完了後、PCを抱えて店内に入り、マクドナルドの中で録音したサンプル音源を、編集した。

この時間、開放されているのは入り口から入って直ぐのカウンター前のエリアのみ。土曜日の夜ということもあって、深夜にもかかわらず若い男のグループがだべっていた。

サンプルの編集をひととおり終えて周りを見渡すと、若者たちは既にいなくなっていた。

音源をSDカードに入れ、車に戻った。

国道17号線をさいたま市まで戻る車中、編集した 「Once」 のコーラスアレンジを流し、聴きながら、修正すべきところを洗い出した。

コーラス開始部分はここじゃないな〜とか、ちょっとくどいな〜とか、最後の ♪Once again の部分はハモったらいいんじゃないか、明日の録音で試してみよう・・・・とか。


午前 04:00 、さいたま新都心の駐車場に戻り、車を返却した。

雨が降り続く中、自宅へ歩いて帰った。






2013年6月22日


自作詞の背景 「Once」 第3回


 「Once」 2番の歌詞・・・当初は今の歌詞とは異なる歌詞だった。

第1回 で書いたように、強烈な映像イメージをもつ  「Once」  1番の歌詞に対して、2番の歌詞にはどんな歌詞をもってくればいいのか・・・・

当初書いた2番の歌詞は、その後まもなく、2番としては弱いと判断して、現在の歌詞に書き直した。

この曲のテーマにより近い内容に書き直された2番の歌詞は次のような歌詞。

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今、私は、壊れた愛、振り返る人の
悲しみの果てに見えた、希望の歌を聴く

人知れず流した涙、風に乗り天に舞い上がって
曇になる、そして地上に降り注ぐ、時を待つ



(写真:みかげのガーデンより)



1番の歌詞が、海外の戦争から想起された歌詞であるなら、2番の歌詞はより身近な、誰もが体験してきたような、そんな題材を歌詞にしたかった。


 「Once」 について、これまで何百回ライブで演奏してきたかわからない。
演奏していくにつれ、ボーカル表現としての面白さを追求し、歌い方を少しずつ変えていった。もっとも変化していった部分がこの2番の出だし部分。

ここ1年ばかりのライブ演奏では、この部分をあえて崩し、インパクトのある表現に変えていった。

曲の流れを敢えて止めるのは、聴き手をあきさせず、注意を惹きつけるため。

流れを崩すこと、間を入れること・・・ただだらだらと流れていかないようにするための表現上の工夫だった。

それと同時に、1番のサビでボーカルは最高潮に盛り上がり、間奏のスキャットでさらにもありがって、そしてこの2番の出だしでガクッと落とす・・・それがこの曲の醍醐味の一つ。


20年近く前、声の表現者として師であった福島英先生はいつもそのことを話していた・・・音楽とはメリハリであり、その繰り返しであると。

四ツ谷のリハーサルの後、馬場さんの車に乗り、秋葉原まで送ってもらう車中でも馬場さんとそのことを話した。古典落語のように、結末がわかっていても聴き入る 「芸」 があるということを。

同じ歌を何百回、何千回歌っても、いつも人の心に新鮮な感動を与える・・・それこそが 「芸」 であり、表現者として目指すべきものであり、福島先生の教え示してくれた 「芸」 の道であった。


今回の録音版 「Once」 、バッキング本録音が終わって、ボーカルを入れる段階となり、逆にその2番の出だしのボーカル表現が一つの課題となった。

自分だけで演奏するライブ、ギターと歌のみの表現なら、思うがままにその間を取ればいい。しかし今回の音源ではそれはできない。

あらかじめ収録された音源にどうボーカルをのせ、どう表現するか・・・課題であった。

しかし本録音までそのことは考えないことにした。その時の感性で、きっといい表現が出来る。そう確信していた。


・・・

2013年6月16日夕方、ボーカルの本録音はバッキングボーカル録音とともに進んでいった。残すところあと2曲、 「Once」 と 「グッパイ・グンナイ」。

馬場さんから、難しいのはどっちだ?(簡単なほうからやったらいいんじゃないか) と質問があり、自分は  「グッパイ・グンナイ」 と答えた。

N郎♪の返答に、馬場さんは意外な顔をしたが、 「グッパイ・グンナイ」 は一部高音でノドに危険な発声をする箇所があり、そのリスクを考えると  「Once」 の前に歌うことはできなかった。


そして  「Once」 ボーカル本録音開始

1テイク目、いい感じの表現もあったが、探り探りの箇所もあり、馬場さんのもう1回録ろうという声もあって、再チャレンジ。

2テイク目、1テイク目よりは表現に集中できた。しかしまだ迷いの箇所があった。テイクを聴きながら、よし、次でいける、自分の中でさらによい表現ができる確信が持てた。

 「Once」 1曲歌うのはかなりの体力を消耗し、不安もあった・・・馬場さんは大丈夫か? と聞いてきがが、それに対してN郎♪・・・大丈夫。


3テイク目、表現への集中はできた。

この3テイク目をベースにして、やり直すべき箇所はやり直し、コーラスパートなどを続けて録音。


サビのボーカルとハモって 「Once」 と歌うコーラスパート、ボーカルの歌が終わってもそのパートだけは続くというのはこの曲を考えた当初からのアイデアであり、アウフヘーベンのライブなどでもベースの SAMMYにやってもらっていること。

前の日の真夜中のサンプル録音でも自分で試し、そのアイデアがイケてることは確信していた。

録音後、機械的な間隔で 「Once」 と入ってくる自分のコーラスパートの声を聴きながら、はじめてこの曲を演奏した日、現在は出演していないライブハウス・四谷コタン店長の木村さんが、ミュージカルの One を 想起したと話したことを思い出した。

・・・この曲のテーマは、再生への願い


曲の出来た 2009年以来、四谷コタンの店長・木村さんをはじめ、たくさんの人と一緒にこの曲にかかわってきた。しかし、今、録音する段階になって、気がつけば、時の流れとともに、多くのことが過去のこととなってしまっていた。途切れたままの人もたくさん。

そしてそうであるが故に、逆に今の自分が、あらためてこの曲の歌詞に考えされられるこことなっていた。

それと同時に、この歌詞を書いた2009年当時も同じことを考え、それまで出会ってきた人、それまでにあった出来事を想起しつつ、この歌詞を書いたんだ・・・そう思い出した。


それら一つ一つに対して、自分は誠実に向き合う義務があるのだと思う。

成し遂げられなかったこと、途切れてしまったこと、道半ばなこと・・・それはこれから自分がどういった活動をしていくのか、そこにかかっていき、ベースとなり、この歌の歌詞とともに、未来の出来事へつながっていくのだと思う。



前の日の真夜中のサンプル録音のおかげで、 「Once」 本録音のコーラスパートの録音は順調に進んだ。

最後、「Once again 」 をシャウトする箇所も、何回かやり直していくうちにハモりは上手くいき、この曲の最大の魅せ場となった。

歌詞を書いた当初、最後の 「Once again 」というフレーズにはあまり意味はなかった。第1回で書いたように、この曲は 「Once」 というサビのフレーズから思いつき、「Once again 」 はその後考えたフレーズだ。

しかし年月が経ち、今この段階となって、「Once again 」 というフレーズが大きな意味を持つフレーズとなっていることに気付く。


この歌のテーマは再生

戦争により破壊されつくされた街
人と人との壊れた絆

「Once again 」 なのだ。



今、その日収録した 「Once」 本録音のボーカルを聴いてみると、100%の完璧な出来では決してない。しかし音楽とは完璧なことが大事なのではなく、ハートが伝わることが大事なことなのだと思う。

そういった意味で、熱く、まちがいなくハートの伝わるボーカル表現になっている。何度でも繰返して聴きたくなる出来だ。

それと同時に、N郎♪の代名詞 「Once」 であるがために、三橋さんのドラム、斉藤さんのベース、まさみちゃんのピアノ、Jimmyのエレキギター、馬場さんのアコースティックギターと、各パートが最高のパフォーマンスを発揮した素晴らしい出来となった。



この世に生まれながら、外国の軍隊の侵攻により、はからずも命を奪われていった人たち、その家族の悲しみ・・・この曲の歌詞を考えるヒントとなった人たちのためにも、

ミュージシャンとして、ライブイベントのスタッフとして、この曲にこれまでN郎♪と一緒にかかわってきた人たちのためにも、

そして何よりこれまでこの曲を歌ってきた無数のライブ会場で、感動したとN郎♪に感想を述べてきてくれた人たち、一緒に歌ってくれたたくさんの人たち、ワンスフラワーを咲かせてくれたたくさんの人たちのためにも、この曲、これからも大事にしていかなければ、そう思う。







2012年11月20日


自作詞の背景 「Once」 第1回


2008年11月、西川口Hearts でのアウフヘーベン企画 「ロックの力」 を大成功に終え、音楽活動における気力が最高に満ちていた 2008年晩秋のとある日、歩きながら、ふと、素晴らしくいい感じのサビのメロディーが浮かんだ。

Once・・・Once・・・Once・・・Once・・・

口ずさんだ瞬間、これは凄い曲になる・・・そう思った。今浮かんだこのメロディーは、恐らくこれまで書いてきた曲以上の、傑作となるであろう・・・そう直感した。

そしてその月の四谷コタンライブで、まだ未完成のその曲のサビを演奏した。


2008年11月28日 四谷コタン・N郎♪セットリスト

1. オープニング〜Once (新曲)
2. 流れ星〜秋葉原の夜空に願いを込めて
3. 午前4時のうた
4. 言葉と想いと夜と朝との境界で(打ち込み音源使用)
5. ひまわりの咲く坂道


本当にサビしか演奏しなかった。なぜなら歌詞がまで出来ていなかったから。

しかし、ウケた。

その時のライブレポには次のように書いている。


1曲目、予告どおりN郎♪ソングの最高傑作となるであろう新作。まだすべては完成していないため、サビの部分を中心に歌い、オープニングとしました。

四谷へ向かう電車の中で歌詞のコンセプトを思い起こしていたのですが、この新曲はコンセプトも最高のものになると思います。歌詞のコンセプトという観点でいうと  「あなたとは〜」 が人気ですが、「あなたとは〜」 を越える歌となることは間違いないでしょう。


最高のサビが浮かんだからには、最高のコンセプトを持った歌詞を付けねばならぬ。そう思いつつ、どういった言葉で埋めていくべきか、あれこれ考えていた。

・・・イメージとしては、誰も住む人がいなくなったユーゴスラビアあたりの廃村が、奇跡的に再生していくような、そんなイメージ。

イメージを再現するための歌詞を考えつづけていた2008年の年末、世界が注目する大事件が勃発した。


12月27日、イスラエル空軍はガザ地区全土に大規模な空爆を開始した。

翌2009年1月3日、地上軍が侵攻を開始し、事態は市街戦に突入した・・・

自分は漠然と、そのうちアメリカなどの大国が介入し、事態は沈静化へ向かうだろう、そう思っていた・・・しかし、違った。


世界はガザを見捨てた。


人道が優先されることはなく、イスラエル軍の攻撃は続き、誰も手を差し伸べることがないまま、多くの市民の命が奪われていった。

死者は1300人を突破し、子供の命がその約3分1を占めた。


これは酷い・・・そう思った。こんな酷いことがリアルタイムで起こっている世界の現実。

そして、今、考えているその歌に、この世界の現実を描こう・・・そう思った。


その歌の歌詞は、次のような内容となった。


「Once」

今、世界は、光浴びた街の空に
たちあがる炎、黒く覆う煙を見る

殺されていく人たち、包囲された街の片隅で
息絶えた娘抱えた、父親が立つ

唯一つの夢さえも、瓦礫の中
唯一つの命さえ、守ること、出来ないのか・・・



リアルタイムで起こっている残酷な現実を反映した1番の歌詞。


完成したその曲 「Once」 は、2009年1月23日、四谷コタンのN郎♪ライブのセットリストの最後に歌われ、大きな拍手を受けた。

それからこの曲は、数えきれないほどのライブの光景を残しつつ、自分の代表曲となっていった。


時はめぐり、2012年11月、あのガザの虐殺から4年後の今、イスラエル軍は再びガザに空爆をしかけ、既に98名もの命が奪われている。

イスラエル軍は19日未明も、パレスチナ自治区ガザ地区への空爆や海上からの砲撃を続け、AP通信によると、一連の攻撃が始まった14日以降のパレスチナ側の死者は計91人となった。イスラエル側は攻撃目標は軍事関連施設だと説明しているが、パレスチナ側によると、死者の約半数は子供を含む市民で、国際社会からは早期停戦を求める声が強まっている。





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